約30年続いた平成の時代が終わり、いよいよ令和の時代が始まります。
5つのエリアに分けて、明治・大正・昭和の駅舎を振り返って特集致します!
明治5年に日本に初めて鉄道が開業したと同時に駅舎の歴史も始まりました。
全盛期にはどんな小さな駅にも駅舎があり駅員さんがいたものです。
しかし、昭和62年4月に国鉄が分割民営化されたのを機に全国的に古い駅舎の改築が行われ、さらに平成に入ってからはバリアフリー化・耐震化・合築化・コンパクト化など、絶え間なく駅舎の近代化・合理化が進められました。
平成のはじめには数多く残っていた明治・大正・昭和初期に建築された駅舎も容赦無く建て替えが進み、その希少性が注目されだしたのは平成の中ごろでしょうか。
改修され保存されるものも増えてきましたが、まだまだ古い木造駅舎は減る一方です。
そこで、令和の時代を迎えるまで残った、明治・大正・昭和初期生まれの貴重な駅舎を見てみましょう。
山陽本線と山陰本線に挟まれた中国地方は、東京や大阪ほど近代化されていないこともあって明治・大正時代の駅舎が多く残っています。
とくに中国山地から山陰にかけては、必要最小限の改修しかされていない建築当初の姿を残した駅舎もあり、木造駅舎ファンの聖地ともいえる地区になっています。
山陽本線では、●竜野駅(明治39年)、●上郡駅(大正4年)、●金光駅(明治34年)など。
播但線では、●香呂駅(明治27年)●鶴居駅(明治27年)●新井駅(明治34年)●竹田駅(明治39年)と複数の明治時代の駅舎があり、なかでも香呂駅と鶴居駅は兵庫県内で最古の駅舎です。
ー香呂駅(明治27年)ー
岡山県になると、津山線に●建部駅(明治33年)●法界院駅(明治41年)●玉柏駅(明治31年)●弓削駅(明治31年)という明治時代の駅舎が複数存在するほか、
ー建部駅(明治33年)ー
姫新線に、●美作江見駅(昭和9年)●美作土居駅(昭和11年)●美作千代駅(大正12年)●岩山駅(昭和4年)
因美線に、●美作河井駅(昭和6年)●知和駅(昭和6年)●美作滝尾駅(昭和3年)があります。
ー美作河井駅(昭和6年)ー
そして、芸備線に、●野馳駅(昭和5年)など、開業時のままとも思える良質の木造駅舎が多数残っています。
ー野馳駅(昭和5年)ー
木次線では、●下久野駅(昭和7年)●加茂中駅(昭和9年)●日登駅(昭和7年)●出雲八代駅(昭和7年)など、昭和初期の建築で雰囲気のある駅舎が多く残っています。
ー下久野駅(昭和7年)ー
山陰本線では、●養父駅(明治41年)●梁瀬駅(明治43年)●八鹿駅(明治41年)●竹野駅(明治44年)●佐津駅(明治44年)●岩美駅(明治43年)●宝木駅(明治40年)●浦安駅(明治36年)●宍道駅(明治42年)など明治時代の駅舎が多数あります。
ー養父駅(明治41年)ー
なかでも、●御来屋駅(明治35年)は、山陰最古の駅舎として平成14年に改修され鉄道資料が展示されています。
ー御来屋駅(明治35年)ー
ほかにも、●江南駅(大正2年)●波根駅(大正4年)●久手駅(大正4年)●静間駅(大正15年)など、開業当時の雰囲気を残した駅舎もありますが、JR西日本は利用客が少なく老朽化している駅舎を順次解体していく方針を示しているため、存続は厳しい状況にあります。
ー江南駅(大正2年)ー
さて、四国ですが、民営化時にほとんどの駅舎が改修されてしまい、見るからに古い木造駅舎というものはほとんど失われてしまいました。
●善通寺駅(明治22年?)という全国でも最古級の駅舎がありますが、大幅に改修されていてあまり古い感じはしません。
見るからに木造駅舎という感じなのは、●坪尻駅(昭和23年)がJRでは唯一の存在です。
ー坪尻駅(昭和23年)ー
古い木造駅舎の少ない四国地区ですが、全国で2番目に開業したという伊予鉄道では、●高浜駅(明治38年)をはじめ、いくつかの味のある木造駅舎が存在しています。
ー高浜駅(明治38年)ー
他のエリアの古き良き明治・大正・昭和の駅舎も見てください。
【関東・東海編】
【近畿・北陸編】
【山陽・山陰・四国編】
【九州編】
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